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西国街道を走る?歩く?

やっと時間ができたので、西国街道を加古川から明石に向かって走ります。

九州から京都に至る山陽道で街道沿いは遺跡だらけです。

走り出すと早速目に入ったのが、完全な状態で残っている宝篋印塔(ほうきょいんとう)。
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この塔は室町時代前期のものですが和泉式部の墓と伝えられています。

まー、和泉式部の墓は全国各地にありますから。

宝篋印塔は先っちょの宝珠、丸い方が時代が古いんですって。

そしてものの数百メートルで教信寺、元々は浄土宗、今は天台宗のお寺です。
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ちょっと遅かったかなー、でも境内はいい感じです。
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(もしかしたらミニベロさんと同じ日に教信寺に行ったかも?)

すぐ隣が五社宮野口神社。
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このあたりは加古川宿のはずれになりますが、名所旧跡が多いです。

自転車で走るより、歩いていろいろと説明を聞きたいですね。

野口町から平岡町、東加古川に入ります。
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西谷八幡神社で国道2号線に合流します。
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でもすぐにまた2号線と別れて、今度は曹洞宗の長松寺。
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高畑地区あたりは、かつての街道の面影が幾分か残っています。
IMG_3780.jpg

平岡町土山の五社大神社、ちょっと変わった建物です。
IMG_3781.jpg
説明が欲しいなーと思いました。

明石市に入ります。

またまた出ました宝篋印塔、でもちょっと変。
IMG_3784.jpg

なんでも地震による倒壊を防ぐため、土台部分と本体部分を分離したとか、
しかも縁起が悪いと言われている猫足の台座です。
(右の猫足は新しそうなので、そのときに作り直されたものみたいですね。)

「縁起が悪い」の根拠はないそうで、風化しやすいし倒れやすいからだそうです。

そしてやっと到着したのが、地元の人が言う清水川で神戸市が言う瀬戸川。
IMG_3787.jpg

この橋には橋の名前も川の名前もなかったので、
南を走っている国道2号線まで下りてみました。

国道にかかっている橋なら川の名前が書かれていると思ったからです。
IMG_3788.jpg

どれどれ、ん、橋の名前は帝釈橋ね。
IMG_3791.jpg

えー、昭和6年に作ったのね。
IMG_3789.jpg

これはひらがなで橋の名前を書いているのね。
IMG_3790.jpg

もう1箇所にも昭和6年と彫られていて、川の名前は全く書かれていません!

なんでやねん、国道にかかっている橋ですよ、その橋に川の名前がないなんて。

昭和6年ごろにはこの川を清水川と呼べなかった事情があったんでしょうかねー。

うーん、うーん、ということで、長くなるのでここで休憩します。


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コメント

こんばんは

自分の場合は通勤ルートが西国街道なので、おそらく同じ日ですね。西国街道は信号も少ないし平岡~明石間は、やたらお寺や石碑などが多いですね。東へ走る時はいいのですが、帰りも同じルートを走ると平岡辺りで国道2号を少し逆走する形になるからイヤですね。西明石や神戸辺りも国道どを走るので、西国街道て感じがしないですね。確か西国街道て旧山陽道て言いますね。他人に山陽道を走ってきたと言ったら、山陽自動車道を自転車でと勘違いされます。

西国街道はやっぱり旧街道だけあって、史跡が多いですね。
今回、私も行きは西国街道を通ったのですが、帰りも同じ道は嫌なので、海へまわるか山へまわるか迷って、結局山に回ったら道に迷っちゃいました(笑)。
教信寺の境内は、なかなかいい雰囲気でしたねー。

和泉式部のお墓は京都中京区新京極通にある「誠心院」という寺にありますよ。
京都に住居していた歌人でしたが、娘が亡くなったのをきっかけに仏法に感じるものがあり、噂で名高い性空(しょうくう)上人を訪ねるため播磨国の書写山の「円教寺」に行きました。
上人から色々仏法を教えてもらい、尼の身でその後再び京都に戻ると「誓願寺」という寺で修行し、堂で生涯を閉じたとのことです。
法名を誠心院専意法尼と言い、当時名の「東北院誠心院」の住職を務めてたそうです。後の時代に「誓願寺」の近くの場所に移り、更に豊臣秀吉の時代に場所が変わったものです。
更に後の時代に新京極と言う名で新しく町づくりを行った際に、この周辺の様子が変わったそうです。
和泉式部は京都と播磨の間を舟(海路)と陸路で行ったそうです。播磨にはしばらくの期間に滞在してた地域があり、知ってる知識を活かして地元住民に教えた事があったとか。
大変慕われたようで、和泉式部が地を離れた後も、敬意と感謝の気持ちを込めて塔などを建てたところもあるそうです。だからあちこちに塔があるんだと思いますよ。
性空上人の元へは慶滋保胤(よししげのやすたね)という学者が訪ねてます。具平親王の教師でもあります。具平親王は慶滋保胤一行に誘われて播磨に行ったことがあるのだそうですよ。

和泉式部にしろ具平親王にしろ、実際に播磨地方に来ているんですね。
だから加古川にも墓や塚が残っているんですね。
和気清麻呂が宗佐八幡厄神に立ち寄った話とか菅原道真が稲美町の天満神社の石に腰かけた話とか、もう少し、この播磨地方の伝説を調べてみたいと思います。

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自転車と野菜作りで「人生の楽園」的生活をめざします。

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