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ますます深まる瀬戸川の謎

今日は、 「瀬戸川の謎、君の名は」の続きで、瀬戸川が本当に瀬戸川なのかを調べに行きます。

すみません、ちょっと話が長いです。(*´~`*)

加古川バイパスの側道を走って、途中から瀬戸川に向かう予定です。
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明石西インターあたりで、「自由にお入りください」と書かれているのに、
誰も入れないように門がびしっと閉まっている不思議な宗教施設の前を通り、
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「清水川」に到着しました。
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ただ前回の走破で「清水川」という名前は全く見つかりませんでした。
清水川

この橋はというと、残念ながら名前は書かれていません。
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畑仕事をされている方が3人おられたので、川の名前を聞くと、
案の定、声をそろえて「清水川です。」と答えられました。

「瀬戸川は?」
「もうちょっと行くと、向こうにもう1本川があるから、それが瀬戸川ですよ。」

あ、これこれ、たぶんこれです。
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川の名前はないのですが、橋の名前はありました。
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瀬戸川でしょうね。

清水川にも「瀬戸川」という名前が書かれていましたが、
こっちが本当の「瀬戸川」なんでしょう。

では、「たぶん瀬戸川」を寛政池の方にさかのぼっていきます。
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とても気持ちがいいサイクリングです。

おっと、ここから先はロードバイクでは無理ですね。
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道なき道、「北摂ひっそり」のgonzoさんなら行くのでしょうが、私は回り道をします(笑)。
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「たぶん瀬戸川」は第2神明道路の下をくぐりますが、自転車は上を行きます。
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寛政池に到着です。

兵庫県の瀬戸川河川整備計画流域懇談会の地図によると、
この寛政池側が瀬戸川ということになっています。
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というより、ほとんど地図はこちらが瀬戸川なんです。

寛政池あたりは住宅街になっています。
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ここに40年住んでいるというおじいちゃんがおられたので、尋ねてみました。
「これ、寛政池ですよね。」
「そうですよ。」
「ここを通っている川は瀬戸川ですよね。」
「いいえ、違います、清水川ですよ。瀬戸川はもう一つ向こうの川です。」
「はー⤴?」

おじいちゃんは家から地図を持ってきてくれました。

神戸市が西区の住民に配った地図です。
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なんと、この寛政池側が清水川で、おばちゃんたちが清水川と言っていた川は、
瀬戸川と記されているではありませんか!
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「向こうの橋にちゃんと書いてあるよ。」

ではその橋を目指します。
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あれれ、本当に清水川です。
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次に出てきた橋にも「清水川」と書かれていました。
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「せとがわばし」の所では「瀬戸川」だったのに、
いつの間にか「清水川」になってしまいました。

それとも「清水川」に「せとがわばし」という橋が架かっていたのでしょうか。

しかたがないので、清水川の源流を探します。
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これはもう川ではありません。
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上村神社(?)あたりで、消失してしまいました。
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清水川の起点はないようです。
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さらに不思議なことに、農作業をされている方に瀬戸川や清水川のことを尋ねましたが、
どちらの川もご存じありませんでした。

一体、どうなっているんでしょう。

神戸市の地図には全く逆のことがかかれていますし、
寛政池から北だけが清水川でそれまでは瀬戸川だったのでしょうか?

地元の人が清水川と呼ぶ瀬戸川、瀬戸川と呼ぶ清水川、
解決したと思っていたのに、寛政池で、いっそう謎が深まってしまいました。

もう、わたくしの手に負えませんわ。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント

おはようございます
けっこう調べましたね。
お見事です。
自分のホームグラウンドのルートですが、知らない所が多々ありました。
瀬戸川はなんとか川沿いを走れてるんですが清水川は第2神明付近でいったん見失ってしまうので、これ以上に追った事はありませんでした。 勉強になりました。

私も寛政池までは何度か走ったころがあるのですが、そこから上流を目指したのは初めてです。
どちらの川も秋田の信号やヒラキあたりを通っていて、え、ここに出てくるのかって感じでした。
しかし、寛政池のおじいちゃんに尋ねたため、結論は持ち越しになりました。(笑)

こんにちは
昔の地図を見ると、清水川の源流は寛政池をすぎ北東方面にある野中大池さらに上流へ行くと瀬戸川に合流していますね。

続きです。
地図が見ずらくてよく見ると、野中大池ではなく寛政池から東へ昔よく通っていた天狗池(上から見ると天狗に似ているので)さらに東へたどって行くと源流は岩岡町の龍ヶ池みたいな感じですかね。

寛政池から南新池、野中大池というルートになれば、瀬戸川、清水川ともに木屋池が水源になりますねー。
南新池の近くに岩岡公園がありますが、そこが水源で水が湧いていたという説、また野中の清水が水源という説もあるようです。
ため池と湧水が入り混じっているので、厄介です。

どうやら神戸市と明石市では、瀬戸川と清水川の呼び名が反転してるみたいですね。
明石市内を流れる瀬戸川と清水川は二級河川に指定されています。正式名を「二級河川瀬戸川水系瀬戸川」「二級河川瀬戸川水系清水川」です。
二級河川の管理者は都道府県です。なので明石市内の瀬戸川と清水川は兵庫県が管理者です。しかし川がある場所は明石市に位置し、運用や使用権もある明石市も、兵庫県とほぼ同じデータを持っています。
兵庫県及び明石市では、神戸市西区に位置する「寛政池」から流れている方の川を瀬戸川としてます。ここで言う瀬戸川とは第ニ神明近くの神戸市との市境に位置する橋から海へ出る河口までの範囲です。
そして神戸市西区に位置する「木屋池」から流れ、下流で瀬戸川と合流している方の川を清水川としてます。ここで言う清水川とは、神戸市との市境に位置する橋から明石市二見町で瀬戸川と合流する地点までの範囲です。
神戸市西区を流れる瀬戸川と清水川は準用河川に指定されています。正式名を「準用河川瀬戸川」「準用河川清水川」です。
準用河川の管理者は市町村です。なので神戸市西区内の瀬戸川と清水川は神戸市が管理者です。しかし川がある場所は西区に位置し、運用や使用権が大きく関わっている西区が、日頃の管理や運用を行なっています。
神戸市及び西区では、「南新池」や「岩岡公園」あたりから流れ、「寛政池」を通り、明石市との市境に位置する橋までを流れている川を清水川としてます。
そして「木屋池」から始まり、「野中の清水市民公園」の横を通り、明石市との市境に位置する橋までを流れている川を瀬戸川としてます。
神戸市が呼んでいる瀬戸川と清水川と、明石市が呼んでいる瀬戸川と清水川は反転してるようなので、市境に位置する橋は、瀬戸川でもあり清水川でもあると言うことなのではないでしょうか。

確かに兵庫県・明石市の連合軍対神戸市という構図になっているようです。(笑)
準用河川なので管理者が違うことがこの問題の原因になっているようですね。
私としては、神戸市の間違いによるものじゃないかと疑っています。
神戸市は木屋池付近で「瀬戸川起点」という立札を立て、市内の橋に「瀬戸川」、「瀬戸川」と書いて、強引にそれまで清水川と言われていた川を瀬戸川に仕上げたんじゃないかと疑っています。
というのも西区あたりは旧明石郡に属していて最後に神戸市に編入されたところで、もしからしたら、編入されたときに担当者が間違えた…?
寛政池近くの住宅街は宅地開発されたところなので、住んでおられる方々は神戸市によって清水川とすり込まれてしまったんでしょう。
避難地図にも清水川と書いて(笑)。
という私の推理で今度はなぜ清水川が瀬戸川になったのかを調べてみたいのですが、ハードルが高そうです。

今の明石市魚住町清水辺りは清水村でした。主に田畑をやっている農家が集まってました。
西国街道沿いを中心に家が並んでいて、今の長坂にある「大道池」の近くに茶屋があり、だいたいこの辺りまでまでが清水と呼ばれていたそうです。
川の周辺の清水ゾーンは農家が集まっていて、掘れば水がよく湧くため各家に井戸を持っていたので、水には恵まれた地でした。近くの川も生活水として使っていたそうです。しかし川の合流点でもあるので洪水対策は大変だったとか。
川から少し離れた本陣のあったゾーンは西国街道沿いを中心に旅籠、店が集中していて民家や神社、寺も多く、今風で言えば町で賑やかでした。このゾーンには「長池」という横長の池の水を田に引いてました。今は「長池」のほとんどを埋め立てて小学校が建てられ、池周辺には住宅が建っていて、面影はあまりありません。この辺りゾーンは大きな川はないですが、池がたくさんあり活用してたそうです。
西国街道は2つの川を渡るため、それぞれの橋を「清水橋」「瀬戸川橋」と呼んいました。
この時代の「瀬戸川橋」が掛かっている川は、上流に「寛政池」はまだ無く、今の神戸市岩岡辺りで細い2、3本の支流がありました。この辺りが川の元かと思います。
「寛政池」は野原だった地に造られた池で、この時に瀬戸川に繋げたんですね。
この時代の「清水橋」が掛かっている川は、清水の川などと呼んでいて、地図によっては川名が書かれていない場合もあります。書かれている場合は、清水川と書いてあります。清水川は瀬戸川よりもだいぶ長く、今の神戸市神出町の山から流れているとあります。
「野中の清水」はだいぶ昔から知られていた湧き水で、今の三木の地や稲美の地から伸びる道を行く人々には貴重であり、かなり有名だったみたいですね。周辺は自然木が立ち、ススキ野原に近い風景のようです。
西国街道は2つの川を横断するので、川や橋のことならば明石市の西国街道関連からあたってみてはいかがでしょうか。

確かに清水川と瀬戸川は元は木屋池付近になっています。
この本流は清水川で、宇佐宇佐さんの言われるように、寛政池ができてから南新池などを通って木屋池から新たに寛政池のルートができたようです。
本流が清水川なので、神戸市は清水川のことを瀬戸川と呼んでいるのかもしれません。
瀬戸川橋と清水橋については、これまで走ってみて、ブログにも載せましたが、瀬戸川橋は神戸市の言う清水川に架かっていて、清水橋は神戸市の言う瀬戸川に架かっていました。
ただその時の清水橋は、野中の清水の横だったので、西国街道ではなかったかもしれません。
なるほど、西国街道ですか?
いろいろと貴重な情報、ありがとうございます。
今度は明石市史に当たってみようかな?

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Author:GGチャリダ
自転車と野菜作りで「人生の楽園」的生活をめざします。

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