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シニアチャリダーの挑戦

「四国一周サイクリングチャレンジ1,000㎞プロジェクト」のチャレンジキットが到着しました。
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キットと言っても、「公式チャレンジパス」と「サイクルジャージ」だけですが。

エントリーして3年以内にチェックポイント(道の駅)のスタンプをもらって、
四国を一周すれば、完走となります。

妻に話したら、
「道の駅に立ち寄りながら、車で回ったら、3日もあったら回れるよ。」
「あほか、なんちゅうこと言うねん。」
自転車で回るからこそ、チャレンジになるんですよね。

サイクルジャージは、半そでです。
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お遍路さんの自転車版ってところでしょうか。
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「このもんどころが目に入らぬかー?」って、袖口を見せたら、
何かいいことがあるのかなー?
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どうせ一周するなら、シニアチャリダーらしく、のんびり回りたい。
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四国はこれまで3回走ったのですが、それは含まれないので、
一からの挑戦になります。

いつ頃走り始めるか、何回で走るか、ルートはどうするか、
そして畑はどうするか(笑)、うーん、考えることが多いなー。

しかし、いくつになってもチャレンジはしたい。
クリックしていただければ、うれしいです。

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コメント

四国一周ですかぁ。
ブルべでもありますね。
距離的は1000Kmなんですね。
お遍路さんを見ていると、夏は死にそうに歩いている人がいますので、チェレンジするのは秋から冬にかけてが無難では?四国は、寒くても何とかなりますし。
時間をかけて、のんびりと観光しながら走る方が良いですね。

四国の瀬戸内海側、鳴門から伊方までは走ったことがあるのですが、太平洋側はまだ走ったことがありません。
室戸岬、桂浜、足摺岬、四万十川など、行ってみたいですねー。
ただ1回で1000キロは難しいので2回か3回に分けてのんびり走りたいと思っています。
やっぱり夏は暑いですか(笑)。

はじめまして
私もロードバイクと家庭菜園を趣味にしようしているものです(どちらも初心者です)
家庭菜園は耕して畝を作るのが自分の仕事で
あとは妻にまかせっきりなのでなんの知識もありません
いろいろと参考にさせていただきますのよろしくお願いします
四国在住ですので四国一周の記事も楽しみにしております

vividさん、おはようございます。
同じ趣味でよかったです。
家庭菜園、畝立て以外は奥さんに任せっきりなんてもったいないですよ。
私は今、去年の種を使ったトウモロコシの芽が出なくてやきもきしているところです(笑)。
四国のルートは考案中です。
その時はよろしくお願いします。

高知市から東側は、道が比較的平坦で走りやすいと思います。
高知市から西側は、それほど急峻ではありませんがUP、DOWNがあるのでなかなか厳しいと思います。
四万十川よりも仁淀川の上流の方がきれいなような気がします。
高知の夏は、魔法名で言えば「インフェルノ!」って感じでしょうか。
気温じゃなく、日差しがキツク焼かれる感じがします。それで、おいしい匂いでもすればよいですが…。

仁淀川、ネットで調べてみました。
「高知県の美しすぎる清流」って紹介してありました。
写真を見ていると、ぜひとも行ってみたいと思いました。
それに高知市からも近い、うーん、ルートが難しくなりそうです。

 伊能測量第6次のコースと重なりますね。
 文化5年3月16日(1808年4月11日)岡崎村(徳島県鳴門市)江戸を出て51日目に四国上陸、時計回りに四国一周の測量開始。258日目に岡崎村に戻ています。
 伊能でGoも楽しんでください。
「ゆういんぐ四万十」(四万十町)へ到着したころは50ポイント以上溜まっていると思います。
 Myページを開いてポイント提示するとカステラがプレゼントされます。

私も基本的には時計回りで、海側を走りたいと思います
「ゆういんぐ四万十」のいい情報ありがとうございます。
56号線沿いなので必ず通るとは思いますが、何回かに分けてチャレンジするつもりですので、うまくカステラをゲットできるかどうか(笑)。

冬に土山町に行きました。「伊能でGO」です。
○「宿泊家:本陣平治郎 文化6年11月2日」
宿泊場所は「土山宿 土山家本陣」です。現在で土山町北土山にあります。現在、「土山家本陣跡」又は「土山喜左衛門本陣跡」が正式名です。
寛永11年に本陣をはじめて、明治3年に本陣の役目を終えました。現在、本陣の建物の大部分がそのまま残されていて、東海道からは立派な本陣の趣きを見ることができます。子孫の方の住居でもあるために、建物内部見学は予約です。
土山という地名は、土山という人名からきてるそうです。「土山家本陣」は、土山城の城主の身内が務めていたので土山家の本陣という意味なんです。「土山家本陣」は代々「土山喜左衛門」の名を継いでました。
「伊能でGO」においては地図上の「旧土山本陣」に指定されてますね。位置は正しいです。
それから名が「土山平治郎」となってますね。「土山家本陣」は代々「土山喜左衛門」ですが、一時期「土山平重郎」の名であった時期があったそうです。本陣の近くの「東海道伝馬館」の方が、「平重郎」を間違えた可能性があるって言ってました。
○「宿泊家:本陣堤忠左衛門 文化3年10月24日」
宿泊場所は「土山宿堤家本陣」です。現在の土山町南土山にあります。現在、「堤家本陣跡」が正式名です。
土山町の2軒目の本陣でした。しかし「堤家本陣」は幕末の頃に本陣をやめてしまいました。「堤家本陣」のかわりに本陣を務めたのは「大黒屋本陣」でした。そして「堤家本陣」は「二階屋」という旅籠屋つまり普通の宿となったそうです。
現在「堤家本陣跡」は、玄関前に「堤家本陣跡」とある石碑があり、建物は本陣や旅籠屋の頃のが残されていて、子孫の方の住居されてます。
「堤家本陣」であった時期は、代々「堤忠左衛門」の名を継いでました。
「伊能でGO」においては地図上の「旧土山本陣」に指定されてます。つまり文化6年11月2日宿泊場所と同場所になってますね。正しい場所「堤家本陣跡」は別の場所です。
「伊能でGO」の地図上で、「うかい屋」の奥まった敷地を2軒目の「土山宿本陣」に登録してるようですが、この場所は「井筒屋跡」です。つまり場所間違ってますね。
では忠敬さんが宿泊した「堤家本陣」現在の「堤家本陣跡」の正しい場所は、「うかい屋」というスイーツ&民芸品店から見て左2軒目の建物です。「土山児童クラブ」をやってる建物の斜め前にある少し広い建物です。できればこの正しい場所に指定し直してほしいと思いますね。
「堤家本陣跡」は最近までは「二階屋脇本陣跡」と紹介されてました。ところが最近になってここで古い資料が新たに見つかり、その資料によって、脇本陣ではなくて本陣であったことが判明しました。その後土山町では、長い期間間違って認識してた「二階屋脇本陣跡」を改めて「堤家本陣跡」として案内してるそうです。
なので古い案内資料においては「二階屋脇本陣跡」になってるから、ややこしくなってるみたいです。
ちなみに「堤家本陣」から本陣を継いだ「大黒屋本陣」は現在、建物はもう無くなっており、井戸跡などがわずかに残ってるだけの空き地になってますね。「大黒屋本陣跡」の石碑が建ってます。
「伊能でGO」に「鳥の吸い物の名物」とあります。キジ肉の料理のことだそうです。山々に囲まれたこの地にはキジが昔から多くいて、キジ肉の料理を出すことがよくあったそうです。今の土山町の鳥がキジなんですよ。




坂下宿、土山宿、水口宿と、とても栄えていたようですね。
入念な調査、恐れ入ります。
「伊能でGoホーム」の方にメールされると、きっと喜ばれると思いますよ。
歴史的な価値も相当あると思います。

「伊能でGOホーム」にメールできるのですね。やり方わからないのですよ。「伊能でGO」内の“アカウント登録”するのかな?

アカウントに登録しなくても、「伊能でGOホーム(https://www.inopedia.tokyo/deGo/)」のページの一番下の「システム管理:横溝 高一お問い合わせ」で、送信できると思います。
または「伊能忠敬研究会(http://www.inoh-ken.org/)」のページにある事務局メールの( mail@inoh-ken.org)でも可能だと思いますよ。

 上記の説明で位置の修正を行います。
 この他にも位置の修正があり、iOSアプリの審査が厳しくて即対応ができない状態です。結構保留状態です。
「伊能でGo」に関する問い合わせは「伊能でGO」ページのフッタ部(一番下)からお願いします。
 伊能忠敬研究会に問い合わせしても、私へ届かないか非常に時間がかる可能性があります。

 土山宿関係修正しました。だだし伊能でGoアプリで正しく表示できるのはまだ時間がかかります。
 5次の帰りの宿舎、土山児童クラブの斜向いしました。
7次の行、土山平重郎の誤り。忠敬さんの日記にはかなり多い記載ミスです(記載のママ)。当時名刺がないため聞取りまちがいでしょう。表記誤りも多いです。日記なので平重郎さんや家人に見せたり、確かめたりすることはないですね。
「鳥の吸い物の名物」これも日記に記載されています。多分食したのでしょうね。
完全ではありませんが、面白い記載は表示するようにしています。
 今後もこのような指摘をお願いいたします。

「伊能でGO」です。
「二階屋脇本陣」が「堤家本陣」であることが判明したのは最近のことだそうです。住居されている子孫の方が古い資料がまだ残ってることに気づいて、この資料を歴史に詳しい方などに解読、考察したもらったところ、「土山家本陣」と共に本陣であったことがわかったそうです。
本陣であったので規模の大きい立派な宿だったわけです。本陣は「土山家本陣」と「大黒屋本陣」があるから、それならば脇本陣もあるはずだと思っていたそうです。
「大黒屋本陣」は、本陣の役目を終えた後、建物を壊すなどして資料らしきものも残されてなかった事も、本陣についての考察を難しくさせていたのでしょう。
長い期間、本陣は「土山家本陣」と「大黒屋本陣」そして脇本陣は「二階屋脇本陣」だと考えられてたようです。
新たに見つかった古い資料によって、土山宿には脇本陣は無かったようです。
「土山家本陣跡」は、場合によっては「土山宿本陣跡」や「旧土山宿本陣跡」の呼び名で紹介されてました。これは、空き地になってしまった「大黒屋本陣跡」と区別するためと、元から存在している本陣跡という意味なんだそうです。
「堤家本陣跡」現在は「二階屋脇本陣跡」を改めて「堤家本陣跡」と紹介し始めてます。しかし本陣をやめた後は「二階屋」という旅籠屋になったこともあって「二階屋本陣跡」と呼んでいるケースもあるようです。でも正式には「堤家本陣跡」なんですね。
土山の地は土山家族が治めていたので、本陣や旅籠屋や施設などは土山家族が務めていました。土山家の族は甲賀武士の子孫なんだそうです。
甲賀という地名も族名が元だそうですよ。甲賀族の一部は現在の京都の美山辺りの地方に住んでた人もいたそうです。
「土山家本陣跡」の隣には馬や人足の手配所である「門屋」があり、その隣に「庄屋」がありました。この「庄屋」は現在、子孫の方が建物を土山町に譲ったのがそのまま残されていて「東海道伝馬館」という土山宿を紹介・案内する所になってます。
土山宿の町並みは、東海道を挟んで北側を北土山と言い、反対側の南側を南土山と言います。北土山と南土山はそれぞれ氏子神社を置き祀っています。東海道を挟んで地方が分かれているのは珍しいようです。
琵琶湖を、琵琶湖と言う名で広く呼ばれるようになったのは江戸時代なんですよ。それまでは鳰の湖とか呼ばれてたのです。

訂正です。“東海道を挟んで地方が分かれているのは”→“地名が”です。間違えました、すみません。

詳しい調査、頭が下がります。
伊能忠敬e史料館 横溝さんに連絡しておきました。

 我々のメンバーの中で、測量日記を専門に研究している方(先輩)達がいて、本件を伝えます。
 東海道宿駅会議(57宿)という集まりがあります。毎年1回どこかの宿場で会議(情報交換)が行われ、今年は石薬師・庄野で行われますが、10月中の平日であるため行けそうもありません。私は保土ヶ谷宿の一員でもありますが、土山宿の方たちとは面識がありません。
 測量隊は東海道筋ではあまり本陣を利用していません。参勤交代とカチ合って宿替えさせれたり、かたぐるしかったりしたためだろうと推測しています。
 保土ヶ谷宿では本陣を利用していません。なぜか飯盛女がいた脇本陣、大旅籠を選んで(?)泊まっています。本人は夜は天体観測をし、日の出ともに出発いるので、たまたまか、他宿の旅籠の情報が保土ヶ谷ほど詳しくないのでなんとも言えません。

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自転車と野菜作りで「人生の楽園」的生活をめざします。

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