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初ライドは、気温0℃風速7m

体調がよくなったので、今年度の初ライドに出かけました。

初ライドなので、長文、駄文になっていますが、ご容赦くださいねー。(#^.^#)


目的地は、忠敬が泊った極楽寺です。

加古川から明石は、海沿いを走ります。

漁師町だからでしょう、三界萬霊の塔がありました。
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今まで何回も走っているのに、気が付かなかったなあ。

気温は0℃、寒くて風が強いのですが、天気は最高です。
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カモメも縮こまっていて、近くに行っても逃げません。
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江井ケ島に来たので、江井ヶ嶋酒造のインスタ映えする場所を探します。
(インスタなんて、やってへんちゅうねん。)

とにかく大きい酒蔵です。
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あ、ここは、どうでしょうか?
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ホワイト・オーク・ウィスキーって、
江井ヶ嶋酒造がウィスキーを作っているって初めて知りました。

また機会があれば飲んでみたいのですが、私は焼酎か日本酒だからなあ。
ウィスキーと言えば、Mさん?

で、めざす極楽寺は、この近くなんですが…。
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やっぱり車で来てはだめですね、自転車が正解です。
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到着しました、七寶山極楽寺、「伊能でGo」では塗香山極楽寺となっていますが、
まー、寺は時代とともに栄枯盛衰を繰り返し、宗派も変わったりしますから。
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極楽寺の山門の裏側には、ちゃんと伊能忠敬のことが記されていました。
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こういうのがあると、うれしいです。

ところで、伊能忠敬が、「4千万歩の男」って、知ってました?

境内は、冬の光の中で静まり返っていました。
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さて大久保にも宿泊場所があるようなので、今度はそこを目指します。
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あ、ここ?
ここはトイレです。

三島の苔丸さんに教えてもらった「どこトイレ君」というアプリ、役に立ちますよ。
チャリダには、必須のアプリだと思います。

いやー、きれいですねー、明石海峡大橋まではっきり見えます。
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え、分からない?

じゃあ、アップにしてみましょう。
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よく見えるでしょう、最近カメラを変えたんです。

今使っているは、(値段は安いですが)IXYです。

前のファインピクスよりきれいに撮れるのですが、
このカメラでは走りながら撮ることはできません。

まー、走りながら撮るのは危ないので、これを機会にやめます。


そして、大久保の宿泊地に到着しました。
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示されている場所は更地ですが、通りは雰囲気があります。
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歴史美観地区ですねー。

目的は達成しましたが、もう少しポタを続けます。

峠越えのため高台の石ケ谷公園にやってきました。
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そう言えば、体調不良でまだ初詣に行っていませんでした。

初詣は、GGチャリダゆかりの鶴岡大明神にしますが、
何もない加古の台地は、向かい風がきつい、今日は西の風6~7mです。
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やっと今年の初詣を済ませました。
「じいちゃん、今年もよろしくね。」
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体調がよくなって、うれしくて、ついつい寒い中、走り回ってしまいました。

自転車って、ホントにいいですねー、改めて思いました。
そして、健康の大切さも。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント

 極楽寺にも記念プレートがあったのですね。
「各地の記念碑・標柱一覧」もデータベース化をしています。
 弘法大師、西行、芭蕉より歩いているので、もっとあってもよいのですが少ないです。倭健命は蝦夷地には行っていないので、日本史上最も歩いた人物と思われます。
 GGチャリダさんは結構スタンプが貯まっていると思います。アプリの「メニュー」から「e史料館に保存」を行い、Myページを開いてみてください。あなたの足跡、スタンプ帳、アカウント登録した方たちでのランキングがわかります。

アプリの使い方を間違っていたようで、PCでのID、パスワードで入ると、表示されました。
私はまだ8カ所ですから、まだまだですねー。
今回、極楽寺にプレートがあったのはうれしかったです。
ところで、「各地の記念碑・標柱一覧」は、どこにあるのでしょうか?

「各地の記念碑・標柱一覧」、いろいろありまして現在、非公開です。いずれ公開したいと思っています。
「4千万歩の男」は井上ひさしの小説です。出版後、初代伊能忠敬記念館館長佐久間さんから「5千万歩」であることを指摘され、訂正しなければと言ったそうですが、両人とも故人となりました。

なるほど、道理でネット検索してもヒットしないわけですね。
4千万歩にしろ5千万歩にしろ、伊能忠敬はそれだけ歩くから元気なのか、元気だから歩けたのか、とにかく脱帽です。

 忠敬さんはあまり丈夫ではなかったようです。歩き回ったから元気になったと、本人の記録もあるそうです。長男は8次測量のとき47歳で、孫は忠敬さんが亡くなってすぐ21歳で死去、一旦伊能家は没落します。
 伊能研の会員に医師の方がいて、隊員の日記等の史料から「確実に日本を歩き回ったから元気になった」といわれています。
 5次測量の途中から「瘧疾(おこり)」になり、隠岐測量は隊員に任せ、自分は松江で1ヶ月療養しています。これは記録からマラリアであると先の先生は診断されています。当時特効薬はないので度々発症したのではないかと思います。6次の高知城下では持病痰「たん」引籠るとあり6泊、その後も度々、隊員に任せたこともあったようです。
 日本全図を作るという明確な目標があり、江戸にいても日々データの整理、地図に仕上げるために頭脳も使っていたので当時としては長寿の73歳で亡くなるまで現役でした。
 伊能図はそれまでの絵図とは違い国内初の実測図で、さらに天測と組合せた数値地図です。極東では有史以来最初のものではないでしょうか。
 1/36000の大縮尺の国土図は1820年代、欧米にもなかったようです。ただ出来たのが50年早すぎて歩いて旅する当時の一般の旅人には道中絵図の方が実用的でした。

やっぱり「足は第2の心臓」、歩くことは健康にいいんですねー。
身体も頭もしっかりして、生涯現役ってすごいです。
今のようにダウンコートやヒートテックがあるわけじゃないし、ホッカイロもないのに、こんな冬の寒さでも、それに耐えて歩いて測量を続けるというのは並大抵のことではなかったでしょうね。

そして伊能図、当時はそれほど需要がなかったにしろ、こうして後世まで語り継がれるのですから、大したものです。

「伊能でGO」です。今度は草津市の本陣に行き、調べました。
JR草津駅から南の、かつて大きな川があった旧草津川の近くです。東海道と中山道の分岐点であったこのあたりに草津宿の建物や民家などが立ち並んでました。
「伊能でGO」では忠敬さんは、草津宿本陣に4回宿泊したことになってます。まずは「田中九蔵本陣」についてです。
○「宿泊家:本陣 田中九蔵 文化5年2月20日」
宿泊場所は「草津宿 田中九蔵本陣」です。場所は、現在名で草津市草津2丁目にあります。
「田中九蔵本陣」を任されていた家は代々「田中九蔵」を名乗っていました。なので草津宿で「田中九蔵本陣」「本陣田中九蔵」「田中九蔵家本陣」といえば、この「田中九蔵本陣」だけです。
「田中九蔵本陣」は本陣の役目を終えた後、建物を取り壊して、木造の小さな学校が建てられました。更にその後立て直しをして、現在では民家になってます。一般住民の方が生活されてます。古い二階建ての木造の建物で、玄関近くの壁に「田中九蔵本陣跡」と書かれた簡素な札が掲げてあります。
この「田中九蔵本陣跡」の建物は、「まんぽのとなり」という名称の地元交流の場にもなってます。なので玄関近くは「まんぽのとなり」の看板も掲げてあります。地元の懇談会、体験、勉強会、フリマなどをやることがあるそうです。
今の「田中九蔵本陣跡」のあるブロックは、東海道沿いに4軒ならんでいます。端が「貴羅羅」という店名の手作り雑貨店です。その隣が「田中九蔵本陣跡」&交流場「まんぽのとなり」です。その隣は民家です。その隣ははり灸をの看板を上げている家です。
グーグル地図では「本陣 田中九蔵家址」は、「田中九蔵本陣跡」と隣の民家との中間点になってます。それも建物ではなくて、建物の前の側溝の位置です。現地を見たところ、この位置には、「田中九蔵本陣跡」の文字と絵が入ったきれいなデザインの側溝蓋がありました。どうやらグーグルは、この側溝蓋の位置を「本陣田中九蔵家址」としたようですね。
「伊能でGO」において「宿泊家:本陣 田中九蔵 文化5年2月20日」の場所を、グーグルと同じ側溝蓋の位置に指定されてます。
せめて「伊能でGO」においては、正しい位置に指定してほしいです。「貴羅羅」の隣の「まんぽのとなり」という建物です。側溝蓋の位置「本陣 田中九蔵」→「まんぽのとなり」&「田中九蔵本陣跡」の位置「本陣 田中九蔵」に移動してほしいですね。
わずかな差ですが、はっきりと場所が確定したので、ぜひ移動してほしいです。
○「宿泊家:本陣 田中九蔵 文化3年10月21日」
「伊能でGO」においては、現在名の草津市草津1丁目にある「草津本陣」の場所に指定されてます。
草津宿には本陣が2軒ありました。草津宿で「田中九蔵」名の本陣は上記の草津2丁目にある「田中九蔵本陣」だけです。
草津1丁目の「草津宿本陣」の位置→草津2丁目の「まんぽのとなり」&「田中九蔵本陣跡」に移動してほしいですね。

「伊能でGO」です。草津宿続きです。
○「宿泊家:本陣 田中七郎左衛門 文化8年3月15日」
宿泊場所は「草津宿 田中七左衛門本陣」です。場所は現在名で草津市草津1丁目にあります。
「田中七左衛門本陣」を任されていた家は代々「田中七左衛門」を名乗っていました。なので草津宿で「田中七左衛門本陣」「本陣 田中七左衛門」といえば、この「田中七左衛門本陣」だけです。
「田中七左衛門本陣」は寛永12年(1635年)に宿本陣を始め、明治3年(1870年)に本陣の役目を終えました。その後、増改築されて役所や公民館として使用されました。本陣建物はほぼ当時の姿を残し、敷地も一部は民家になったものの、当時の様子をよく残しているとして昭和24年(1949年)に国の史跡に指定されました。
木の塀でしっかり囲まれていて、立派な木造の扉を向こうを入ると、当時のままの立派な建物があります。玄関やたくさんの部屋はもちろん、他にも土間、台所、風呂、トイレなどもそのままの姿です。奥の上段の間もあり、小さいながらも雰囲気や木も残されてます。
現在では「草津宿本陣」の呼び名で広くとおっていて、観光や草津案内でも「草津宿本陣」が一般のようです。入館料を払って建物内に入れます。
「伊能でGO」においては、グーグル地図の「草津宿本陣」の建物と同じ場所に指定されてます。位置は正しいので、このままでいいと思います。
でも名が間違ってますね。「伊能でGO」では「田中七郎左衛門」になってます。本陣で「田中七郎左衛門」という人はいないそうです。たぶん「田中七左衛門」を間違ってしまったのではと思われます。
「本陣 田中七郎左衛門」→「本陣 田中七左衛門」に修正してほしいと思いますね。
○「宿泊家:本陣 田中九兵衛 文化8年12月28日」
草津宿には本陣は2軒ありました。この2軒の本陣はどちらも田中の名であったので、当時の人も間違う事があったそうです。本陣の宿泊者がこの間違いをしないように、本陣においては完全予約制だったそうです。
「伊能でGO」において「本陣 田中九兵衛」となってます。本陣で「田中九兵衛」という名の人はいないそうです。忠敬さんの記録で「田中九兵衛」と書かれているのであれば、「田中九蔵」と「田中七左衛門」をごっちゃまぜに勘違いしたのではないでしょうか。この2軒の本陣は場所近くですし。宿泊したのはどちらの本陣なんでしょうか…。

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自転車と野菜作りで「人生の楽園」的生活をめざします。

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